9月です。
暑くにぎやかだった夏が、徐々に穏やかな秋の彩りへと移ろっていく頃ですね。
ゆあんさんがこの世にデビューした月でもありロマンちっくでセンチめんたるな季節でもあります。
まぁさりげなくゆあんさんの誕生日が近いことをお知らせしているわけなんですけどそれはそれとして
だからなんだよ って言われちゃうとその、、なんかセンチメンタルを通り越してブルーなんですけれどそれもそれとして
い、いやぜんっぜん何も期待してませんて。。
秋です。
秋といますと昔から食欲の秋とかロマンスの秋とか芸術の秋とか言われてなんかみんなやけに色めき立ってくるわけです。
乙女は秋風に吹かれ訳もなく涙をこぼし、青年は落ち葉を踏みしめながら詩集を片手に孤独を愛するのです。
自称、365日ロマンチストのゆあんさんもこの季節はやっぱりヒトキワろまんちっくでせつねぇわけですよ、ふ~む。。
そんなゆあんさんの秋は例に倣って詩集やら小説やらを外に持ち出して一人公園の片隅で読み耽っていたりするわけです。
似合わないとか言うなっ。
そこで問題になるのが外人作家の本の日本語訳なんです。
古い詩集ですとか小説ですと、現在に至るまでたくさんの翻訳がなされていたりするわけですが、この訳が本を味わうのにとても重要なのです。
訳というものは当然、訳者の捉えかた考え方、経験等によって同じ本を訳してもだいぶ雰囲気やら深さが変わってくるものなのです。
自分で読んで訳せるならそれがベストかもしれませんが、おいらにはぜってぇー無理です。
そうなりますとベストな訳を見つけ出さねばならないわけです。
そうでないと珠玉のフレーズがココロに響いてこないのです。
作家の魂を充分に汲み取った、読む人のココロに染みる訳でなければならぬのです。
そういう本、そういう訳に出合えることは人生にとって大変幸福なことです。
よくぞ訳してくれました アンタはえらいとか思うわけです。
ちなみにわたくしの読書の範囲はとても狭く深く偏っております。
気に入った本を飽きることなく何度でも読み返します。
気に入ったフレーズには遠慮なく線が引かれますし、付箋をたくさん貼りまくりますのでちょっと人に貸すのが恥ずかしい感じの本になっていたりします。
扱いも雑でどこにでも携帯しますから表紙がなくなてったりボロッボロになっていたりします。
本の世界に入り浸るというのは幸せな時間です。
そこにはもう一つの世界があります。
たった一冊の本が人生を変えてしまうことだってありますし、そこまでいかなくとも新たな世界観を与えてくれることがあるのです。
本が語りかけてくるようだ、と思えるくらい直接ココロの奥に響いてくるような本や訳に出会えることがあるのです。
おおっと柄にもなく長々と熱く語ってしまいました。
たいてい熱く語ってる奴って語ってる本人はよくても聞いてる方はつまらねぇーんだよね。
秋の気配がそうさせるのです。 許してちょんまげー(古)
じゃまそゆことで。。
ゆあんとと http://homepage3.nifty.com/yuantoto/